しばしばオフトン

内科医、栄養専門医。ゲーム、旅行記、医学、4コマ漫画。

箸か、スプーンか、それが問題だ

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 さて、我が家では、朝起きたら奥さんが優雅にコーヒーを入れてくれます。

 月曜日という日は、普通であれば、心は絶望に締め付けられるように痛み、足は鉄のように重く、すがるような気持ちで週末という遥か彼方に光り輝く光明を透かし見ようとも、しかし眼前の労働が漆黒の深い霧となって立ち塞がり、一寸の光線すら届かない闇の中、ただただ慟哭するその微かな声すらも誰にも届かない、闇、絶望、暗雲たる禍患、そういう日です。でも、そこに?奥さんの?暖かいコーヒーが出てくると?闇を切り裂く太い光線!!枯れ果てた草木は生命の躍動に萌え出だち、空には祝福の鳥の歌声が響き渡る、まさに福音の時、希望の春が確かにそこに現れる(号泣)!!!

 ですが、今日はコーヒーメーカーの調子が悪かったみたいで、奥さんが溢れたコーヒーまみれになったキッチンで悲鳴を上げている状態でしたので、「我が家のことは…頼んだぞ、妻よ!」と最敬礼を施し、仕事に向かったわけです。

 

 

 ということで、朝ごはんが食べたくなりましたので、コンビニでご飯を書いました。ミニ鶏そぼろご飯です。このご飯は最強で、鶏そぼろと卵と野沢菜?みたいなのがご飯の上に振りかけてあって、美味いしかないわけです。颯爽と購入を果たし、机の上でそれを取り出し、愕然としました。

 なんてことでしょう。

 箸が、入っていない。

 いえ、コンビニの店員さんが入れ忘れたわけではない、コンビニの店員さんは意図して、それを行った。箸の代わりにそこにあったのは、驚くなかれスプーンだったのです。

 たしかに。たしかに、この鶏そぼろご飯、上に乗っている細かな肉や卵を、軽くご飯に混ぜて食べる感じが一番美味いわけです。その食形態は、チャーハンに近いかもしれない。では、チャーハンを箸で食べるかというと、スプーンです。なので、この鶏そぼろご飯を食べるにあたって、スプーンを使うのは至極理知的な判断かもしれない。その判断に、コンビニの店員さんの判断に一切の間違いはないのかもしれない。でも、結論から言いましょう、私は箸で食べたかった…!

 なんとなく、丼ものは箸で食べるほうが美味いと思いませんか?冷静になって考えてください、曇りのない、差別のない目で想像してみましょう。ネギトロ丼があります。ネギトロ丼も、ネギトロと白いご飯を混ぜて醤油を少したらしワサビも何なら少し加えて食べます。少し混ぜ込むことの方がおおいでしょう。ネギトロの旨味をキリっとした醤油のコクが包み込み、白米と混ざり合って爆発するわけです。それは食形態としては、チャーハンに近いのでは?だからと言ってネギトロ丼をスプーンで食べるでしょうか。それで本当に美味いと、心から言えるでしょうか。答えは否です。

 では、チャーハン、ネギトロ丼、その違いは、そうですね、きっと粘度にあるのでしょう。チャーハンはパラパラ。ネギトロ丼はパラパラとまでは言い切れない。その粘度の違いがこの差を生んでいる。でも、それで言えばそぼろご飯はチャーハンよりはネギトロ丼に近いはず。やはりそれであればそぼろご飯のベストアンサーは箸なのでは?いや落ち着け、違う、そういう利便性とかじゃない、もっと根源的な何かがあるはずだ。そうだ、これは文化だ。私というニッポンジンが持つ、遺伝時に刻み込まれた記憶なんだ。

 そう思い当たる理由として、パスタがあります。スパゲッティ。これはイタリアで生まれし圧倒的西欧料理です。それは当然、それが育った土壌の中で最適解としての食器が伝わっています。フォークです。イタリア人に、「パスタは箸で食べたほうが美味いよ」と伝えてもヘンテコアジア人がヘンテコなこと言い出したぜHAHAHAとなって喧嘩になるわけですが。でも、私は確信している。パスタは箸で食べた方が美味い。それは当然イタリア人からしたら違うかもしれないが、私としてはそのほうが美味い。理由なんてない、あるとすれば私の遺伝子がそう叫んでいるから!!

 ということで、私は箸が好きなんだなあと、しみじみ日本人なんだなあと思いながら、少し残念な気持ちでスプーンで鶏そぼろ丼を食べました。食べてみたら食べやすくてめちゃくちゃ美味かったです!最高でした!

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